デートが出来た理由

あるカップルが、たとえば次のようなやり取りをしたとします。

○「今度の休みにデートをしない?」

■「今週仕事が忙しかったからさー、
  ちょっと疲れているんだよね。」

○「じゃあ、どんなデートなら出来そう?」

■「そう言えばちょっと買いたいものはあるから、
  半日それをするくらいなら、かな」

○「いいよ!」


さて、特に変な会話ではなく、よくありそうなやり取りですよね。

この時、二人のうち「■」の人はデートには消極的ですが、結果として二人はデートをすることになりました。
片方が疲れていて、デートをするにはとても良い条件、という事ではありませんが、にもかかわらずこの二人にデートが実現したのは、何気ない二人のやり取りの中にいくつか大きな理由があります。


たとえばまず、相手がデートに消極的な様子であったことを、すぐに
「デートをするのは嫌いなのだ」
と判断しなかったということです。
この点は意外に大きなポイントです。

そしてそれによって、
「では、どういうデートならできるか?」
という発想が出来たわけです。

これもかなり大きな要素で、これはセックスにおいてなんらかで条件が良くなかった際に、
「じゃあ、どういったセックスなら出来るか?」
という発想を、どれくらい出来るでしょうか。

この時もう一つ言いますと、

「どういうデートならしたい?」
ではなく、
「どういうデートなら出来る?」

という形であったところも実は影響しています。

疲れているので、「したくなる」のはハードルが高いわけです。

そのため、その裏には、
「デートを、とてもしたいと思えないままでもいいよ」
という意識を持てていることが良い結果を招いているところもあるということです。


デートの話に戻りますと、そのあとに、「半日買い物をする内容であれば」といったように、実現する方向での調整をしました。

そしてその際に、その日は相手がデートをするにはそれほど条件が良くない、という中で、
「相手が自分の買い物をするデート」
という、一見相手にばかり都合の良い内容デートですが、それを悪く考えず二人のデートが「実現することを喜んだ」、というところもありましたので、結果として二人が笑顔でデートを出来ました。

この二人は、別の日には逆の立場になることもあるでしょう。

やり取りの最初で、「デートは嫌いなのだ」という判断になってしまいますと、
「ではデート好きになってもらうには・・・」
という方向で考えることになります。

二人の間で、事がセックスになりますとデートやその他の点では普通に考えられることが突然考えられなくなってしまうようなことが少なくないものです。

でも、そこにある理屈はデートなどと同じである場合も多いわけです。


カップルがデートをする時に、いつ、どこへ行って、何をするか、といった、
「どういうデート」
をするかは、もちろんカップルによって違うものです。

また、
「今週は疲れているから近場にしよう」
とか、
「3連休だから今回はたくさん遊ぼう」
といったように、同じカップルでも時と場合によってその内容を普通に調整するやり取りをしますよね。

どこへ行って何をするか、とか、今週はどうするか、という調整というのは、「デート」というものを固定せずに「その時の二人の状況」のところへ「デート」を持ってくる、という感じです。

逆に、デート内容の調整が出来ませんと、「二人」をデートのところへ持っていかなければなりません。

話がデートであればある程度柔軟に考えることが出来ますが、話がセックスとなりますと、カップルの間では何となく
「セックスはこういうことをするもの」
といった、決まったセックスの形のイメージが無言のうちに二人の間にあって、それが固定されていることがよくあります。

そうすると、セックスをしたいかどうか、好きかどうかという事も全て、そのセックスをもって判断していくことになりますから、よほどそのセックスをしたいと思える時以外は良い返事が出ない、ともなっていきます。


たとえばデートにおいて彼ばかりが楽しいと思うような内容のデートしか二人の間には無いという中で、彼女に対して
「デートは好きかどうか?」
をうかがってみるとところまでは良いとしてもそれで彼女の「デート」に対する思いを全て判断するのは適当ではなさそうです。

この時、彼女が楽しいと思えるデートの形もそこにあれば、それはまた違ってくるでしょう。


そしてさらに言いますと、たとえばの話として、
「彼の好きなデート」と
「彼女の好きなデート」を、
仮に毎週交代で実行したとしますと、言ってみれば、お互いに相手好みのデートの形は

「好きではないままでもいい」

という考え方もできます。

「好きになる」ことよりも、「お互いの望みが実現する」
ことに重きを置く意味というのはあります。


カップルの状況や色々な程度などは様々でありますが、セックスを固定したまま、セックスをしようとしない人を
「なんとかセックスのところまで連れていこう」
とだけする作業というのはなかなか大変なことが多く、気持ちが辛くなりがちなところがあります。

色々な状況を含めた
「その時の二人」
のところにセックスを持ってくる、という、まずはその方向性の考えを含めるというだけでも、大きな違いとなってきます♪

 

2017年06月07日